【離職率92%⁉︎】コンビニの4倍以上ある美容室、減り続ける美容師たち
現在日本にある美容室の数は24万軒以上。
この数は全国にあるコンビニの軒数の約4倍以上というから驚きだ。
現在も美容室の軒数は年々増加傾向だが、その一方で実は「人手不足」という課題も抱えている。
厚生労働省の「産業別入職率・離職率」の調べによると、1年目で約50%、3年目で約80%、10年目にもなると約92%もの人たちが所属しているサロンないし業界から去って行くという調査結果も出ている。
そんな中、福岡県で10年以上も美容師を続けている人物がいる。
彼が14歳の時に美容師を志したキッカケ、その道の途中にあった様々な葛藤、それらを乗り越えて今に至るまでの18年間のリアルなストーリーと「美容師への想い」を聞かせてもらった。
彼がどんな道を歩き、どうやって美容師という夢を実現させたのか。
今現在「美容師」という生き方に悩みもがいている人にこそ彼のストーリーと想いを知ってほしい。
目次
ー中学時代ー
1.不安よりも強かった〝ワクワク〟
ー高校時代ー
2.「絶対に負けたくない」
ー専門学校時代ー
3.実績を手に入れたからこそ生まれた〝葛藤〟
ー修行時代ー
5.初めて経験する挫折
ー独立ー
8.全ては〝恩返し〟のために
ー想いー
10.髪をキレイにするのは当たり前。だってプロだから。
不安よりも強かった〝ワクワク〟
2001年、中学2年生の時に〝カリスマ美容師〟をテレビを通して知った彼。
翌日には友だち達へ「髪を切らせてくれ」とすぐさま行動。
初めてのカットに友だちは「いいじゃん!」と大満足。
だが次の日の学校で女子からの評判がとても悪かった。
その時に友だちが「アイツが切ってくれた髪をそんな風に言うな!」と一喝。
この時「友だちに嫌な思いをさせてしまった」という体験から彼の中に悔しさが生まれた。
だが、それ以上に〝上手くなりたい〟という気持ちが溢れ出す。
ここが彼のスタート地点となった。
「絶対に負けたくない」
それから高校に進むと、同じ道を目指すライバルともいう存在が出てきた。
周りの人たち皆一様に「アイツの方が成功する」と口々に言う。
その時、彼の心の中には〝絶対に負けたくない〟という心の炎が燃え上がっていた。
すぐさま美容師のアルバイトを始め、アルバイトが休みの日には友だちのカットをするというカット漬けの日々を送る
実績を手に入れたからこそ生まれた〝葛藤〟
地元の美容専門学校に入学する頃には既に5年もの経験値が蓄積されていた。
そんな彼は校内のカットコンクールで堂々の優勝を飾る。
公的に認められることで「今まで協力してくれた周りの人たちへカットを通して恩返しができる」と思えた。
だが、それと同時に1つの葛藤が彼の中に生まれる。
それは〝どこまでの人になりたいか〟という悩み。
悩みが悩みを呼び、だんだんと学校も休みがちに。
そんな中、あるクラスメイトが彼に言った。 「福岡なんかじゃなくて、オレは東京行って成功するけ」
「福岡なんか」という言葉が悔しくてすぐさま学校の先生に「福岡でNo.1の美容室は?」「1番有名で1番厳しいところは?」と行動。
だが先生を含め「出来るわけがない」「行けるわけがない」と大批判。
ここで更に火が点く。
もう彼は止まらない。
熱意と熱量は必ず伝わる
この頃の彼は既に葛藤を振り切っていた。
福岡No.1美容室への試験を受けに行く批判は無くならなかったが一向に構わなかった。
「1番厳しい環境で自分を鍛える」
その想いでいっぱいだったから。
結果として試験は無事合格。
その後、福岡No.1美容室に4年務めることになるが、実は採用判断の時に12人中11人が不採用判定を出していた。(これは勤める美容室の卒業時に知ることに)
唯一、採用判定を出していたのはグループ本店の店長。
面接の時の「他の誰よりもココで働きたいんです!」という彼の熱意が店長に伝わっていたのだった。
初めて経験する挫折
晴れて福岡No.1美容室に入社。
同期は18人。
この時ハサミを持って10年の時が経っていた。
彼には実績もあるし自信もあった。
ここからさらなる快進撃が!
とはならなかった。
同期の中で1番下、最下位の成績。
ここで人生で初めての挫折を経験することに。
「今までの経験と自信があった分、この時のショックは大きかった」と、この時のことを語る。
この時に本店の店長が「お前にはお前のペースがある」と激励。
その言葉を糧に彼はもう一度動き出す。
圧倒的にやる。とにかくやる。とことんやる。
店の中の誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰る。(これはお店を卒業するその日まで約4年間毎日欠かさなかった)
どうしても店に残れない日には夜な夜な公園にまで行って練習。
その甲斐もあり、同期の中で1番目に見習い美容師から〝美容師〟へとステップアップすることができた。
そして、この時期に店長から「夢」について問われることに。
その時彼が描いたものは〝26歳で店を出す〟というものだった。
夢を、ビジョンを、より明確に定めた彼は1つの結果を残す。
デビュー初月売上でグループ店舗歴代最高売上を叩き出す
グループ店舗の10年以上の歴史を塗り替えるという快挙を成し遂げる。
入店した時は誰よりも成績が低かった彼が圧倒的努力で実現した成果だった。
そんな順風満帆だった時にまたもや店長から厳しいアドバイスが。
「そんなに甘くはないよ」
その言葉通りに翌月の売上はこれでもか!というぐらいガクッと下がってしまうことに。
「何が良くなかったのか」
考え、振り返り、想像して彼は気づく。
「忙しさにかまけて、一人一人に丁寧に向き合っていなかった」
彼が当時勤めていた店舗自体が福岡の一等地にあり人気No.1だったため、1日の来店が多く〝来てくれたお客さんを待たせる〟ということが起こりがちではあった。
そんな環境の中で自分なりの気づきを得た彼は「一人一人ともっと向き合いたい」と強く思うようになる。
ここで自分が出すお店のテーマが決まる。
それは〝お客さんを待たせない、個人と丁寧に向き合うお店〟というテーマだった。
福岡の地へ美容師を目指して単身乗り込み早4年。
挫折、努力、達成、苦悩、気づき
これらの経験を経て彼は決断した。
全ては〝恩返し〟のために
「今まで支えてくれた、力になってくれた仲間や友達、家族に恩を返したい」
その想いを胸に福岡を離れ地元 北九州に戻り、独立のための行動を起こす。
当時「独立する」ということに対して周りからの否定や批判がたくさんあった。
だがそんな声よりもなによりも〝想い〟の方が圧倒的に強かった。
そして「今までやってきた」という自信もあった。
だから迷うことはなかった。迷うわけがなかった。
諦めないこと。歩みをとめないこと。
お店をオープンさせて最初の頃はお客さんが来ない日もあったそうだ。
当時を振り返り彼は言う。
「暇な時は悪いことを考えてしまったり、不安になってしまう」
「だけど、それでも諦めず一歩一歩と歩くことが大事」
そうしながら1年、2年と時を重ねるにつれ、お客さんが1人、また1人と来てくれるようになっていった。
髪をキレイにするのは当たり前。だってプロだから。
そうして7年目の今。
彼には日々忘れず持ち続けている想いがある。
それは「髪だけじゃなく、心をもキレイにしたい、磨きたい」という想い。
この想いを胸に一日一日を全力で楽しんでいる。
楽しみすぎていて、なんと自分の結婚式の当日にまでお客さんのカットしていたとか。
彼は笑顔で言う。
「自分ができることを相手が求めてくれている、それに応え続けていきたい」
〝有難う〟のために自分はいる
「人から見たら同じ作業かもしれない。だが一人一人の髪はもちろん違うし、相手の気分だって会う度に違っている。
決して〝同じこと〟はない。
だからこそ喜んでもらえて「有難う」の瞬間に思う。
〝美容師で生きてて良かった〟」と。
続けて彼は言う。
「そんな風に幸せを感じるからこそ美容師を続けている。
そしてこれは〝お客さん無しでは不可能な仕事〟
自分は美容師に恋している。
そして恋したまま死にたい。」
いかがだったろうか。
彼の熱量、そして負けん気はいわずとも、なによりも「周りの人たちへ」という利他の心に仕事・生き方の在り方を教えてもらえたような気がした。
「美容師としての生き方」
決して楽な道ではないのかもしれない。
だけど、だからこそ、彼のリアルなストーリーと想いが、その道の真っ只中で今現在もがいてる人たちへの新たな一歩を踏み出すキッカケになることだろう。
(UNPORTALISM編集部)
下田貢平Instagram(hair.salon.moca_kohei)
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