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【コラム】何が成功で何が失敗なのか?教壇の違和感。島根県高校:中山純平先生

日々、教育の現場は動いている。どんなことがあっても教育が止まることはない。だからこそ改革が難しい。そんな中で感じる教壇のモヤモヤ。コロナの中、昨年元気がなかったという中山先生が綴ってくれた。


去年元気がなかった原因を一つ思い出した。

Facebookを見ていると、教育に対して真摯に向き合い、研究や研鑽を重ねてきた方々の素晴らしい考えに日々触れることができる。自分自身も発信できることは発信してきた。

しかし、それらを見ていて違和感を覚えた。別にその理屈が間違っているとかではない。ただ、自分の目の前にいる生徒と照らし合わせたときに、理想と現実が噛み合っていないと感じた。センター試験が共通テストに変更され「何を学ぶかよりも、どのように学ぶか」といったことが言われるようになった。けれど、この共通テストの話を切り取ってもそうだが、各地で見かける素晴らしい理論はどれも勉強ありきだなと感じた。

この1年、生徒と関わってきて(というか、最初に違和感を覚えた時で言えば夏頃だろうから、今年度の早々に)感じたことは、勉強のこと云々よりもっともっと手前に大事なことがあるんじゃないかということだ。探究学習がどうとかアクティブラーニングがどうとか、結局勉強のことじゃないか。それより先に、生徒の心のこと、生き方のこと、人間関係のこと、そういうことを大事にしなきゃいけないんじゃないか。それが僕が感じたことだ。

【違和感の正体】

1才までに親が子とどのような関わりをしてきたかによってアタッチメント(愛着)が育まれ、それによってストレス耐性や思い切りの良さ(言い換えれば周囲への信頼)の度合いが変わってくるという研究がアメリカにはあるらしい。これこそ非認知能力の根源だと思うのだが、そういう話を見聞きする機会はやたらと少ない。しかし実際のところ、いま目の前にいる生徒、そして今まで5年間で関わってきた生徒たちを思い出しても、アタッチメントを育むような接し方を大人がするだけで、勉強はじめあらゆることのモチベーションに繋がってくるという実感がある。いわゆる問題行動を起こすような生徒でも、大人から信頼を示す声かけをしたことで振る舞いが変わっていく姿を毎年見てきた。

Facebookを開けば、キラキラした素晴らしい理論をたくさん目にすることができる。でも、それは僕にとって遠い世界の理想論に見えた。そう感じて、見ているのがしんどくなってしまった。元気を無くした原因は他にもいろいろあるけど、一つはこういうことだ。

まぁ、ぶっちゃけ去年と言わず今も元気がない。つい昨日も、生徒から「先生、もしかして最近元気ない?」と言われたばかりだ(それこそ、他の先生たちが手を焼いている生徒から、笑)。自分には何ができるんだろうか。生徒たちに何を残せるんだろうか。そう思いながら、明日も教壇に立つ。

(文:中山純平)

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時代の変化と先生のモヤモヤ。答えが出なくても教壇は進行する。リアルな現場から学びが生まれる、だからこそ教育者の意味があるんだろう。

(UNPORTALISM Education)

■中山純平:高校理科教員

島根県公立高校にて理科を教える。生徒と共に日々学び、「教えない授業」と「学校の枠を超えた学び」を実践中。

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