2023年を迎えて都立高校の先生が思うこと
さまざまな形でコロナとの向き合い方で右往左往した世界。教育の世界では、ただでさえ過剰な労働環境の中で新しい施策やメンタルへの配慮などで先生一人ひとりのボリュームを遥かに超えた時間だったのは間違いない。年が明けて2023年、これからの時代に向けて先生は何を考え、行動するのか?「UNPORTALISM Education」を主宰する井波祐二先生から2023年の教育を語ってもらった。(編集部)
多くの学校が始業式を迎えた1月10日。昨年を振り返ってどうだったか、今年の目標はなにか。そんな話がどの学校でもされたことだろう。そこで、高校教員である自分自身を振り返り、今年の目標を考えた。
2022年の社会と教育
2022年もVUCAの時代を想起させる年となった。新型コロナウイルスが未だ収束しない中で2月にロシアがウクライナ侵攻を開始、7月には安倍晋三元首相が銃撃されるなど、誰もが予想しなかった出来事が起きた。社会とはなにか、平和とはなにか、私たちに大きな問いが投げかけられた。
学校教育においては、2020年度より小学校から段階的に施行されている新学習指導要領が今年度高校において施行された。新しい学力観を育むためのカリキュラムマネジメントや授業デザインが現場で求められている。
また、成年年齢は18歳に引き下がり、18歳の高校生は成人として民法上扱われるようになった。公職選挙法が改正され選挙年齢が18歳に引き下がった当時は主権者教育の充実が叫ばれたが、今年はそれが消費者教育等となり、各
高校で取り組まれていたように思う。
このような変化の激しかった2022年が終わったいま、自分自身は何ができたのか。この3年間をまとめて振り返る。
3年間を終えようとしている今、思うこと。
教員として与えられた職務をどれだけ着実に遂行できたか、という面ではある程度は「できた」と言えるかもしれない。しかし、教員の本質的職務は子ども・生徒の成長に寄り添い、伴走することだと考えたとき、それができていたかどうかは分からない。伴走した気になっていただけかもしれない。表面的に見えていた部分だけしか支援できていなかったのかもしれないと思いがよぎる。
現任校に赴任してすぐ1学年の担任となり、今年度が3年目。3年生となった生徒たちは、新型コロナウイルス感染防止のため入学式が行われなかった唯一の学年である。学校行事はことごとく新型コロナウイルスによって実施を阻まれた。今年度はコロナウイルスによる制限が緩和され、対策を講じながら文化祭や体育祭を実施することができた。しかし、一年近くかけて企画する修学旅行に関しては実施できなかった。そのような学校生活を経て現在は進路実現に向けて受験勉強などに懸命に励んでいる。
行動は制限されるが時間は止まらず過ぎていく。やりたいことは我慢させられるがやらなくてはならないことは突きつけられる。この3年間そんな状況にあったのだろうと思うと真の意味で彼らの立場に立っていなかったのかもしれない。「人生何があるのかわからない。だから前を向いて頑張ろう」と言っても、正論かもしれないが受け止め方はやはり大人とは異なっていただろう。
2023年、教員としてどうあるべきか。
2023年は受験に励む3年生をサポートし、卒業生として送り出すことからスタートする。新年度が始まれば学習指導要領改訂に伴って設置された新科目への対応など、また新たな日常が始まる。その中で今年はどんな目標に向かっていくべきか。
根本は変わらない。学習の主体者は子ども・生徒であり、学校や教員はその主体者を支援することが存在意義。だからこそ、伴走者として一人ひとりの「ありたい姿」に近づくために必要なことをしていきたい。
2年前、彼らに対してこんなことを伝えた。
「社会人になって、いつか『コロナ世代』とレッテルを貼られる日が来るかもしれ
ない。そのとき、それが良い意味で使われるかどうかは、『いま』の生き方で決
まる。」
一人ひとりが生きやすいと思える社会を生きてほしいと願えば願うほど、「いま」を大切にしてほしい想いが強くなる。人と社会の未来は「いま」が作る。そして一人ひとりの「いま」をより良いものにする支援をするのが学校であり教育だと考えている。その当事者として、今年
も奮起していきたい。